コラム㉗ 「信 頼」
今まで多くの人から支持され好感を持たれていた人・モノ・サービス・考え等がいとも簡単に
否定される事例を多く見ます。
「政治家は良い政治をしてくれればプライベートは気にしない」
このような考え方も以前はあったようですが、特に公人に準するような方は総合的な人間性を
問われる時代になっていると感じます。
”国レベルの緊急事態に対処して国民に向かって語りかける政治家がお金の扱いを疎かにしていた”
”自分たちに都合の良いルールを温存していた”
このような事実を目の当たりにすると不信感が募ります。
ただ、ここで重要なのが・・・
「なぜ、道義的に問題があり不公平かつ生産性の無い仕組みが温存されたのか?」
「なぜ、今まで情報公開されなかったのか? またなぜ、今明るみに出るようになったのか?」
「この状況を踏まえどう改善していくのか?」
このことを考えなければなりません。
自分の好きな人、信頼を置ける人の悪事は容易に信じられません。
それと同時に自分を信頼してくれている人の存在を意識すれば悪事に手を染めることも出来ないはずです。
そんなことが起こる、なぜ?という気持ちと人間の弱さを感じます。
大切なこととそうでないことを区分し、情報は自分なりに精査した上で判断する。
この自分に出来ることに集中すれば悩まずに済みます。
性善説で行きたいですが、環境によって人は誤った判断もする。
肯定しきれない”業”が人にはあると感じます。
以上
│更新日時:2024/02/26│